下関酒造,伏流水,日本酒造り,関娘

自分たちが栽培した米で、自分たちのお酒をつくりたい

海峡の街・下関は決して酒どころとは言えません。

なぜ、下関酒造がこの地に蔵を開き、酒造りを始めたのか。

その理由は、私たち下関酒造の成り立ちと大いに関係します。

われわれ下関酒造は、1923年(大正12年)に445人の地元農家によって設立されました。

北前船の寄港地として、九州への荷の流通拠点として栄えた下関には、その当時すでに灘や広島の酒処のお酒が飲まれていました。酒と言えば灘、広島だった下関。

自分たちが栽培した米で、自分たちのお酒をつくりたい。

蔵内

そんな下関の農家の想いが、一丸となって酒蔵になったのです。

市民が立ち上げた酒蔵は全国でも稀有な酒蔵です。

下関酒造は今でこそ、住宅や商店などの建物に囲まれていますが、設立当初は田んぼが広がり、質の良い水も手に入りました。創業当時から酒質の評価は高く、第一回全国新酒鑑評会で優等賞をいただいています。

酒処のイメージが薄いかもしれませんが、近くに川も流れ、酒造りには適した土地であり、現在に引き継がれています。

下関酒造 うまい酒作りの原点がここに